「日本学術振興会のK上様よりお電話です。」と秘書が取り継ぐ。その類の電話には、この頃、嫌な予感しかしない。

K上様:
林先生、お久しぶりです。前回はJAGFoS・2017では大変お世話になりました。ところでJAGFoS・2019のPGM(プランニング・グループ・メンバー)になっていただきたいのですが、お受けくださいますでしょうか?

K上様:
(沈黙)

K上様:
「BiologyのPGMは、林さんだから、頼んで。」と運営委員の先生から承っております(`・ω・´)。
(沈黙)
という問答と沈黙の果てに、ちょっとした大人の事情もあり、結局、引き受けることになってしまったJAGFoS・2019のPGM。JAGFoSとは日米独先端科学シンポジウム(Japanese-American-German Frontiers of Science Symposium)の略であり、2年前の独り言シリーズ(
いつの間にか身についていくもの?)で紹介している。FoSは、学振が主催するシンポジウムであり、学振のHPによれば、「日本と諸外国の優秀な若手研究者が様々な研究領域における最先端の科学トピックについて、分野横断的な議論を行う合宿形式のシンポジウムです。シンポジウムに参加した若手研究者がより広い学問的視野を得るとともに、既存の学問領域にとらわれない自由な発想を更に発展させ、新しい学問領域の開拓に貢献し、また、次世代のリーダーを育成し、ネットワークを形成することを目的としています。」ということですので、招待されるのは名誉なことのようですが、私には難易度が高いシンポジウムである。2017には、一般討論者として参加であるが、今度は、PGMでの参加である。PGMは、プランニング・グループ・メンバーという名前の通り、シンポジウムのサイエンス部分をすべて企画する。分野横断のシンポジウムであり、扱う分野は広く、Biology、Chemistry、Earth Science、Computer Science、Physics、Social Scienceの6分野。各々の分野に3人のPGM(日本、アメリカ、ドイツの各国から1人ずつ)が配置される。この18名のPGMが、学振、NAS、フンボルト財団とともに、1年かけてJAGFoSシンポジウムの準備をする。冒頭の電話はまさに1年前の出来事である。そして、1年かけて何をしたかというと、まずはPGMミーティングで、シンポジウムで扱うTopicを決定する。FoSのFはFrontierの意味であるので、TopicはFrontierでなければならない。そして各PGMが自分の扱いたいTopicをプレゼンし、18人のPGMの投票により、最多票を獲得したテーマが、Topicとして採択される。まず、そもそもこの時点で、PGM間の熾烈な戦い(?)が始まる。そもそも全PGMのExpertiseは全部異なる。つまり、全員素人という状況の中で、如何に自分のプロポーザルが、Frontierであり、議論に値するのかを説得しなければいけないのである。Biologyを例にとれば、日本PGMのわたくしは“Depression: A new world crisis”を提案、アメリカPGMのZachは“Inter-individual differences between cells and organisms”と“Phase-changing/Phase-separation droplets as nontraditional organelles”を提案。ドイツPGMのNicolaiは、“Synthetic Biology”を提案。この4つのTopicの投票結果は、以下のとおり。
1位:Phase-changing/Phase-separation droplets as nontraditional organelles
2位:Depression: A new world crisis
3位:Inter-individual differences between cells and organisms
4位:Synthetic Biology
Phaseなんとか?の何が楽しいのか分からないが、Depressionは次点だった。つまり、わたしは負けたのである。悔しい(そんなに悔しいわけでもないが)と思いつつ、それよりも“Phase-changing/Phase-separation droplets as nontraditional organelles”って一体何なのか?それ、わたし、マネージできるのか?という恐怖が襲ってくる。ご存じのように細胞、そして細胞小器官は膜で区画化することで、必要な因子、例えば、イオン、核酸、蛋白質などの急峻な濃度勾配を維持しているが、このような膜を持たない、non-membranousな分子の集合がDropletをつくり、それがあたかも小さな細胞小器官のように機能する、というのが“Phase-changing/Phase-separation droplets as nontraditional organelles”の概念である。
Natureの
NEWS Featureに特集も組まれているので、重要かどうかは別として、「流行っている」のは確かである。しかし、正直、その概念が流行っている意味が分からない。そもそも原核細胞の細胞小器官は、non-membranousであるし、真核細胞でも、例えば核小体などもnon-membranous dropletであり、概念としては全く新しくないのである。新しい概念、Conceptual breakthroughは、そこから切り込むことにより、今まで見えなかった新しい側面から一点突破できるものであると思う。“Phase-changing/Phase-separation droplets as nontraditional organelles”が、Conceptual breakthroughとは思えなかった。またAbetaなどの変性疾患の理解が進むのであると宣言されても、Abetaが、モノマーからオリゴマー、不溶性の繊維構造というPhase-changeを経ていくのは御存じのとおりで、この“Phase-changing/Phase-separation”という概念を入れることで、アルツハイマー病やAbetaの理解が深まるとは思えなかった。しかしこのTopicが今回のシンポジウムに選ばれてしまったからには、PGMとしてやるべきことをやるしかなく、やり終えた後に、最後に理解できるかもしれないとも思った。もうベストを尽くすしかないのである。
さてTopicが決まったら、PGMの次のお仕事は、スピーカーの選定および一般討論者の選定であり、これが大仕事であった。まず、スピーカーは、Topicに関してノリノリの英語でプレゼンし、55分という長いQ & Aを耐えるだけのタフさが求められる。そして45歳未満でなければならない。一方、一般討論者は討論するためだけに招待されるわけで、積極的にキレキレの質問を介して議論を盛り上げる知性とメンタルの強さが必要である。そして45歳以下であり、所属、分野、性別に偏りがあってはならないというのが決まりである。
参ったな、、、誰も思い浮かばない、、、というのが、正直な感想である。
神経科学の中なら、誰が英語で議論が出来るかは大体分かるが、神経科学以外の研究者についてはほとんど分からない。業績だけ判断され、本番に蓋を開けてみたら英語力の問題で、悲惨な状態になってしまったということも過去にあったらしく、それは避けたい。そうすると、どうしても身内である神経科学の中で選ぶが、そもそも神経の中で、non-membranousなPhase-changing/Phase-separation dropletsとは何であろうか?ある程度、自分の知っている範囲にしておかないとコントロール出来ないので、考えた末に、研究対象はPost-synaptic density(PSD)に絞る。実際にPSDがPhase-separationで形成されるというハイプロファイル論文も出始めている(Zeng et al, 2018,
Cell)。そうならば、PSDをPhase-separationから英語で喋れる45歳以下の人で、FoSの雰囲気を楽しめるメンタルを持ち、4日間の缶詰合宿に喜んで来てくださる人は誰であろうか?
参ったな、、、誰も思い浮かばない、、、というのが、正直な感想である(2度目)。
仕方ないので、神経科学系のラボのHPを見て、若そうな人、留学経験がある人、PSDに精通している人をスクリーニングする。もうこれだけで3日位かかる泣きそうな作業なのです。そして候補者リストが完成したら、学振へ提出する。選考の過程は知らないが、学振が選んだSpeakerは、慶応・柚崎研の山崎世和くんであった。
山崎君は、実に、良い若者であった。FoSは、普通の学会ではなく、聴衆は分野外のエリート集団である。エリート集団相手にTEDをするようなものである。従って、スライドは相当の修正をお願いした。本来ならば、不愉快なことだろうに、山崎君は嫌な顔一つしないで修正に応じてくださった。そして、わたしと山崎君の2人で、それなりの完成度で臨んだつもりであったが、本番3日前の、9月26日の事前打ち合わせでは、アメリカのPGMとドイツのPGMから、まあまあの袋叩きにあい、可哀想に、皆がワインやらカラオケやら毎晩楽しんでいる中で、山崎君はスライドの修正と練習に励み、本番に臨んだ。

さて、ようやく、日本24人、アメリカ24人、ドイツ24人でのFoSシンポジウムの始まりである(図1)。やはり、FoSは、聞いていると楽しく、Speaker達のプレゼンの切れは素晴らしい。例えば、PhysicsのTopicは「エンタングルメント」。まあ、日本語で聞いても分からんだろう。しかし、これが何となく、フワっと理解したかのような錯覚に陥らせてくれるのだから、すごい。例えば、有名な、「
シュレーディンガーの猫」を数式で説明するのだが、その数式が図2である。
センス抜群である(図2)。

そうこうしているうちに、我々のBiologyのセッション開始。PGMは座長だけしているので、気楽なもんかとういうと、そうでもない。Speakerの山崎君は20分の発表、その後、55分のQ & Aをこなし、何とか無事に終わった。山崎君も胸を撫でおろしただろうが、わたしも相当ほっとした。わたし自身は、日本におけるOpen accessの現状について、プレゼンする役割があり、泣きそうになりながらスライド準備をし、これも大禍なく終了。4日間のFoSを通じた感想は、結構疲れたが、楽しかったということである。2年前にFoSに参加した時より楽しめたと思う。やはり、少しずつ、色々なことが身についていくものである。頑張ると、少しずつ成長できる気がした。若い人よ、めげずに、頑張るのである。
最後のDinnerは、京都・鴨川沿いの宴会処。日本側PGMの有志と共に和装で、Host国としての最後の歓待を行い、Finish。
しかし、疲れた。
「日本学術振興会のS様よりお電話です。」と秘書が取り継ぐ。もう戦慄である。これを神経科学の世界では、Fear conditioningというのである。

S様:
林先生、JAGFoSでは大変お世話になっております。ところでJAGFoS・2020のPGM主査になっていただきたいのですが、お受けくだけますでしょうか?運営委員会で決定しました。
PGM主査といえば、日本PGMの中の長であり、日本を代表し、NASやフンボルト、他国のPGM主査とのやり取りが待っている。絶対に無理である。

今回に関しては、何と非難されようが、断りました。これは一重に私の能力不足であり、私に務まるような仕事ではないのである。私が出来ることは、FoSの益々の発展を祈念するだけである。ちなみに、写真(図3)は2019・JAGFoS最後の夜の鴨川Dinner。左より、わたくし、尾坂格さん(広島大・教授、2020・JAGFoS、PGM主査に決定。頑張って!)、若宮淳志さん(京都大・教授、2017・JAGFoS、PGM主査)、素敵な浴衣の女性は峰島知芳さん(ICU・准教授、2019・JAGFoS、PGM主査)。皆さん魅力が炸裂している素敵な人たちでした。沢山のエネルギーを彼らから貰ったので、しばらく自分の研究に全力投球するぞという誓いを立てたのでした。
もしもし、お電話変わりました。林です。